活動内容、学びのまとめ (インターンより)
アッサラーム・アライクム!
初めまして、今年の二月からアライアンス・フォーラム財団でインターンをしている生駒啓です。
この日記ではバングラデシュ滞在中に感じたことや受けたカルチャーショックを思うままに記述し、活動内容以外にも珍発見等をお伝えいたします。
今回、一週間という限られた期間の中私に与えられたタスクは、とある案件の立ち上げのためバングラデシュにて食生活や衛生環境に関わる必要な現地の情報を取得し、東京本部に報告することでした。
8月23日午後9時30分、ダッカ空港に無事到着しOn Arrivalのビザを取得後、到着出口を出るとアライアンスの紙を持ったシニアマネジャーのNabiさんが待っていました。前回の日記にも紹介されていましたが、ダッカの交通渋滞は他の開発途上国の都市(ヤンゴン、バンコク、ホーチミン)に比べても非常に悪く、空港から7km離れたダッカ事務所に辿り着くまでに1時間弱。早速気がついたことは、夜であるとは言え、街中で女性があまり出歩いていないということ。人口の9割がイスラム教であるバングラデシュでは一般家庭の既婚女性は家にこもって家事をするべきだという考えが浸透しており、学生や労働者といった特定の女性のみが外出しています。
翌日のお昼ご飯にはメイドさんのお得意料理ダルを頂きました。ダルとは豆(ヒラマメなど)を挽き割って煮込んだ食べ物であり、パキスタン、インド、ネパール、スリランカといった南アジアの地域では主食と見なしている場所もある代表的な料理です。隣にある野菜の正体は未だに不明だそうです。
そして3時過ぎ、仕事の合間に本村さんが連れて行ってくださったその先は。。。
チャドカン。(お茶屋さん)
国民的な飲み物であるチャー(紅茶)やお菓子、果物、煙草を道端に広げて売っていました。チャーには色々なアレンジをすることができ、ジンジャーやレモン、コンデンスミルクを入れて飲む人も沢山います。最も一般的なチャー(一杯およそ5タカ≒8円)を頼み、最初の一口、、、めちゃくちゃ甘い!!
後日気づいたのですが、お願いしない限り基本的にはチャーを頼むとミルクと砂糖たっぷりのものが出てきます。また、数日間現地の人たちと共に過ごして気づいたことはバングラデッシュの人たちは甘いものが大好きな国民だということと、現地スタッフのナビさん曰く、バングラ人は三度の飯よりも会話を交わすことを好み、チャーを片手に道端に立ちながら何時間も会話を楽しむということです。
バングラ生活三日目は早朝に起床し、今回のメインミッションであるヒアリング調査の実施場所である地方都市に移動を開始。ダッカからは車でおよそ6時間。ただ先述の通り、ダッカは世界一を競うほどの交通渋滞の問題を抱えているため、大幅に走行時間が変動することは日常茶飯事です。
午前10時、途中下車し朝食を摂ることに。この日の献立は屋台で捏ねて焼いて作ったナン、あちらこちら走り回っている鶏の卵を使ったオムレツ、隣でモーモー鳴いている牛から絞ったフレッシュな牛乳を加えたお決まりのチャー。いろんな意味で新鮮でした。
滅多に外国人を見かけることがないダッカでしたが、都市を離れれば離れるほど外国人は村人たちにとって珍しい存在であり、自分が徐々にエーリアン化していく様を実感しました。ベンチに座って地球の歩き方を読んでいると一人の男性が隣に座ってきました。この時は現在地を把握していなかったのでここはどこかと尋ねると優しく教えてくれました。バングラデシュにいて言語の壁はだいぶ高く感じましたが、ジェスチャーや簡単な単語を並べるだけで通じ合えるのは素晴らしいと再び実感した瞬間でした。
その後、周りの風景をカメラで撮っていると、10メートル先から子供たちが警戒しながら徐々にこちらに近づいてきました。話しかけると興味津々にカメラを指さし、ベンガル語で何か言葉を発しました。写真を撮られたいのか自分たちが撮りたいのかよく分からなかったので彼らを撮ることに。
エク、ドゥイ、ティン(1、2、3) パシャ
真顔。
恐る恐る、撮った写真を子供たちに見せると笑っていました。
再び、移動します。
今回、私はバングラデシュ南西部の農村にてとある案件実施のために裨益者を含む家庭の母親を対象に個人・グループインタビューを行い食生活や衛生状況を把握するためにやってきました。
先ずは、宗教、子供の年齢別にグループを作ってもらい集団インタビューを行いました。今回は渡航前にアライアンスのスタッフより現地食生活や栄養に関わる事前レクチャーを受けていたのですが、いざインタビューを始め、後悔したことは事前に学んだ授乳指導や栄養に関する基礎知識が頭に入っていなかったということです。言うまでもありませんが、ただリストアップした質問を一つ一つ聞くだけでは十分な情報を取得することは出来ず、如何に一つの質問に対する答えから話を広げて情報を引き出すかが重要であると気づかされました。現地の栄養士と通訳者のサポートによって幸運にも必要な情報は得ることが出来ましたが、再び言語と文化の壁から生じるミスコミュニケーションや誤解を痛感しました。また、MITの経済部教授Abhijit BanerjeeとEsther Dufloによって書かれたPoor Economics(和タイトル:貧乏人の経済学 – もういちど貧困問題を根っこから考える)を読んで以来、途上国でよく見られる栄養不足による貧困の負の連鎖は実は存在しないかもしれないという筆者の主張に疑問を抱いてきました。今回調査した村は比較的に恵まれた地域であり、ほんの一部の調査結果からしか判断はできませんが、収入の高い家庭ほど栄養に関する知識が豊富であり、そのため健康に育つことが出来る子供はまともな教育を受け、安定した職業に就き、家庭を養うといった好循環は存在すると強く感じました。さらには、教育機関や医療サービスといった基礎インフラへのアクセスは必要不可欠であるが、正しい知識やサービスを提供できなければ単なる「箱作り」は無意味だということを改めて認識しました。
これまで私は、アフリカのガーナで草の根レベルの支援活動に携わったことや日本国内のNGOと関わる機会がありましたが、BRAC、グラミン銀行をはじめ、NGOやマイクロファイナンス機関が開発の担い手として活躍しているNGO大国のバングラデシュで活動現場を肌で感じることができたのは大変貴重な経験でした。今回調査を支援してくれたNGOは住民によって設立され、経済ではなく社会開発に重点を置き、教育分野に力を入れてきました。アウトサイダーによる従来の慈善型開発は現地ニーズの理解不足、プロジェクトの持続性の乏しさ、住民の自立の妨げといった問題点が挙げられましたが、そのような問題点を克服するために住民自身の参加とエンパワーメントを重視してコミュニティー開発を行ってきたこのNGOの受益者の領域が広く、その恩恵は公平に分配されているということを実感しました。
第二次世界大戦後から1970年辺りまでの国際協力のメインプレイヤーは主に国際機関、各国政府でしたが、先進国から途上国への支援という形のトップダウンアプローチからNGOや民間の役割が急激に増したことによって参加型開発が重視されるようになり、ボトムアップのアプローチがとられるようになりました。開発のフィールドにおいてOne-size-fits-allの政策や解決策はなく、トップダウン、ボトムアップアプローチそれぞれにPros and Consが存在するため、どちらの援助方法が効果的かという質問ではなく住民のニーズや状態を把握し、如何に多様な開発アクターを巻き込み二つのアプローチをバランスしてプロジェクトを実施するかということを常に考えるべきであるということに気づきました。
今回の一週間のインターンシップの機会を得て、今まで触れることのなかった慢性栄養不良に関する知識が増え、問題意識が高くなり、何よりも現地NGOによる社会開発の最前線での活動を肌で感じることができたのは大変貴重な経験でした。安定した経済成長を維持しているバングラデシュの今後は非常に興味深く、是非また何年後かに戻ってきたいと思います。
最後に、一週間の間大変お世話になったドライバーのアラウディンさん、シニアマネジャーのナビさん、カントリーマネジャーの本村さん、本当にありがとうございました。