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新バングラデシュ駐在員の自己紹介と、社会変化、料理について

 当財団のバングラデシュ日記を読んでくださっている皆さん、初めまして&こんにちは&こんばんは。
本村(もとむら)公一と申します。
2015年6月から、当財団(Alliance Forum Foundation、以下AFF)バングラデシュ事務所で事務所長兼プログラム・マネージャーとして駐在させて頂くことになりました。
私のバングラデシュ日記では、駐在員の日常の一コマからはじめて、徐々にバングラデシュの治安状況や、AFFが現地NGOや社会企業と連携して取り組んでいる事業、例えばマイクロファイナンスに関係する業務のことなどを書いていきたいと考えています。

※ バングラデシュは、日本語表記であるバングラデシュ人民共和国の通称です。ベンガル語で、バングラが「ベンガル(人)」を、デシュが「国」を意味しており、合わせて「ベンガル人の国」となります。バングラデッシュ、バングラディシュ、バングラディッシュと記述されることもありますが、少なくとも後二者はベンガル語の発音に対して不自然な標記です(wikipediaより)。

 まず初めに、私の簡単な自己紹介をさせてください。
昭和51年長崎生まれ、広島・名古屋・東京・南アフリカ・フィリピン・ラオス育ちの39歳(アラフォー)です。不惑目前の瀬戸際です。
趣味は、表向きは写真、旅行、読書、映画鑑賞と、時々思い出したようにやるランニングと空手。裏の特技はヌンチャクです。部下を輝かせるべくコーチングを学び中で、直近で感動した映画は、余命6ヶ月を宣告された実業家と自動車修理工のおじさんがガン病棟の一室で意気投合し、死ぬ前にやっておきたいこと記した棺桶リストを次々に実現していく「最高の人生の見つけ方」です。

バングラデシュには、大学卒業間近に店番ボランティアをしていた広島のNGO・HOPEのスタディーツアーに参加させていただく形で、首都ダッカとバングラデシュ最大の港湾都市チッタゴン、そして同国隋一の観光地コックスバザールを訪れました。PHLSという現地NGOが運営するノンフォーマルスクールは、緑がとても美しい田園風景の中にある、日本でいう雪で作ったかまくらのような建物が校舎として使われ、そのなかで授業が行われていたことがとても印象に残っています。

 さて、誕生日に羽田を発ち、バンコク経由で6月16日(火)に、ダッカのハズラット・シャージャラル国際空港に降り立った私は戸惑っていました。なぜなら、空港を出て目に飛び込んできた風景は、15年以前に初めてバングラデシュに降り立った時の風景とは、明らかに異なっていたからです。
15年以上というときの移り変わりから、ある程度の社会変化は予想していたものの、暗闇の中にギラギラと光る白い眼の数々はそこにはなく、整然とした道路を走る車や二人乗りのオートバイが闊歩していました。異様とまで映った当時のダッカ空港の風景からは一変していました。
街中を車で走ると、とある変化に気づきました。リキシャ(人力車の三輪自転車版)の数が減っているのです。空港で感じた、車やオートバイそして圧縮天然ガスを使ったCNG(三輪タクシー)が増えたことと関係するのでしょうか。聞けば、外国系企業や大使館が多いエリアであるグルシャン通りによっては通行不可のところもあるとのこと。政府がリキシャを排除する方向で規制を強めたのか、それとも何か他に要因があるのか、地方からの出稼ぎ労働者をはじめとする貧困層男性の職業のひとつとしてのリキシャの運転手(ベンガル語でリキシャワラ)が減ったのではと心配になりました。と思って調べてみると、なんと、労働市場の多様化が進んでいて、より条件のいい仕事が選べるようになってきており、リキシャワラのなり手が減ってきているというのがリキシャ・オーナーたちの談。しかもリキシャにモーター駆動システムをつけた電動リキシャ(オート・リキシャ)も登場したとのこと。時代は変わるものですね。ただ、首都ダッカでは、電動リキシャの走行は禁止されているようです。

ハズラット・シャージャラル国際空港

※ハズラット・シャージャラル国際空港ターミナルビル出口付近

  私を空港で出迎えてくれたのは、AFFバングラデシュ事務所シニアマネージャーのナビ(Nabi)さん。おひげを蓄えた風格のあるおじさんです。日本での企業勤務経験もあり、流暢な日本語を話します。が、なぜか私達の会話は英語。そして、車を運転してきてくれたのは運転手のアラウディン(Alauddin)。彼も簡単な英語でコミュニケーションできます。「アッサラーム ワライクム」(ベンガル語で、おはよう・こんにちは・こんばんは・さようなら。直訳すると「平和をあなたに」です)。「ワライクム アッサラーム(あいさつへの返答)」で私達の会話は始まりました。

 バリダラという地区にある事務所に着いて、早速、ライフラインを確保すべく、現地大手の電話会社グラミンフォン(Grameenphone)の店舗に車で向かいました。日本の友人からもらってきた携帯にSIMカードを入れてもらい、契約をして、設定完了(後日、同携帯は設定の問題か使えないことが判明したため、こんなこともあろうかと持ってきた他の機種に変更)。モバイルパソコン用にUSBスティック型モデムにも料金チャージ完了。なんてスムーズ。もしかしたら、携帯電話やWifiに関しては、バングラデシュのほうが日本よりも進んでいるかもしれません。

 どこの国で働くにも、健康管理のために一番大事なのは食事。バングラデシュで私が食べているものをご紹介します。
バングラデシュ料理の特徴としては野菜や魚を多く使います。「ベンガル人は米と魚で出来ている」とも言われているそうです。料理名としては、まずはやっぱりカレー。バングラデシュはイスラム教(ムスリムとはイスラム教徒のこと)の国なので、豚肉は食べません。代わりに、定番はマトン(羊肉)、そして鶏肉と牛肉。もちろん魚や野菜のカレーもあります。現地の食堂でカレーを注文すると、ダルという豆のスープが付け合せについてくるので、これをカレーにかけると味がマイルドになります。そして私がテイクアウトでよく食べるのがビリヤニ(ベンガル風ピラフ)。他にもキチュリというカレー味の煮込みご飯もなかなかのお味です。
ところで、郷に入っては郷に従えがモットーの私としては、最初は右手を使って食べていました。おにぎりと同じで、手で食べると美味しいですし。指先をスプーンのようにして、米と具を混ぜて親指でお米を押し出すのです。が、今回は事務所長として来ており、お腹を壊したりすると管理業務に支障が出るため、お腹が慣れるまではと思い、2回目以降はスプーンとフォークを使って食べています。
他に、バングラデシュに来て初めてみた果物で「ジャム」という果物。一瞬、ブルーベリーみたいな味か?と思いそうな色をしていますが、実際に食べてみると渋みが強くて独特の味です。「地球の歩き方」によれば、ジャムは塩やスパイスで景気払い的に食べるとのこと。景気払いって何!?と突っ込みを入れたくなりますが、それはじきにベンガル人たちに聞いてみることにして、今回のブログは、この辺で終わりたいと思います。

バングラデシュの料理、果物

バングラデシュでマイクロファイナンスを学ぶ -5-(最終回)

研修を終えて、最後に

顔の見える金融コースの最終日となりました。

一週間の間にバングラデシュの貧困層、そしてその貧困を削減しようと日々努力する人々と出会い、すこしでも貧困について学べたのではと思っています。
ハシミ教授の陽気な性格とエネルギッシュな声が合わさった非常に活力のある授業を通して、バングラデシュに存在するNGOの歴史やマイクロファイナンスの起源について学ぶことができました。私を含めた参加者たちは真剣にクラスディスカッションに参加していて、非常に活気のあるディスカッションを行うことができました。

また、何よりも一番名残惜しいのがBRAC大学で食べたタンドリーチキンです。授業後の昼食に食べたタンドリーチキンは格別においしく、サフランライスもほほが落ちるほどの健康食でした。ここで食べた本場のタンドリーチキンは日本でも会えるのかと、とても不安になってしまいます。

初日に起こった大停電や、ホルタルを経験することによって、海外の生活文化や価値観の重要性を認識することができました。これらの経験はバングラデシュについてすこし理解を深めることができた貴重な時間だったと私は考えています。

私が、この研修で強く感じとることができたのは、多くのNGO設立者や社会起業家が持っている社会貢献への情熱でした。彼らは世界の中でもトップのエリートコースを歩んでいたのにも関わらず、社会的弱者の自立を促す事業を考え、実行している所に私は感銘を受けました。私は彼らの成功は情熱が大きく関わっているのではないかと思います。

明日、日本へ帰国しますが、またバングラデシュへ戻ってみたいです。
マイクロファイナンスコース 受講生記念撮影

バングラデシュでマイクロファイナンスを学ぶ -4-

バングラデシュの社会企業家たち

今回は私が受けた講義を紹介したいと思います。このコースではマイクロファイナンスの理論だけではなく、ソーシャルビジネスやそのようなビジネスを行う起業家たちの話を聞く機会もありました。Solaric社とBangaldesh Petrochemical Limited(BPCL)という二社の創設者から直々に講演を聞くことができました。

最初の講演はDidar Islam氏、Solaric の創設者です。まず初めにバングラデシュのエネルギー事情についての説明を聞き、日本との違いに驚かされました。バングラデシュが使用する88%もの電力は天然ガスから生産されており、そして人口の55%の人々がその電力を使っています。その一方で残りの人口の約半分は電力の届かない暮らしをしています。そのような人々はオフグリッドエリアと呼ばれる、電力が供給されていない地域に住んでいるため、冷蔵庫やコンピューターが使えません。

今回、話を聞いたDidar Islam氏はアメリカのフロリダでラジオチップの製造業に関わっていましたが、2007年に退職しました。彼はバングラデシュに住む人々の暮らしをよくするために帰国し、電子工学の経験を生かして、低コストで持続性のある太陽光パネルの開発に取り組み、それと同時にSolaric社を立ち上げました。彼が考案した太陽光パネルを使用した電力供給モデルは、オフグリッドソーラーといわれ、バングラデシュでものすごい速さで普及しており、貧困層にエネルギー源を提供するという快挙を成し遂げました。(写真:Solaricの創設者、Didar Islam氏)
Solaric社創始者のDidar Islam氏による講義の模様

もう一人の起業家はKhadem Mahud Yusuf氏、BPCLの創設者です。BPCLはペットボトルの原料であるPETポリエスチレンテフタラートのリサイクル事業を行っています。Khadem Mahud Yusuf氏は、米国の通信業でエンジニアとして働いたあと、2003年にバングラデシュに帰国しました。バングラデシュでNokiaやBRACNETに勤めたあと2011年にBPCLを立ち上げ、バングラデシュでPET生産・リサイクル事業を始めました。

バングラデシュでは、1984年にBRACとバングラデシュ政府が共同でおこなった Oral Rehydration Therapy という口や手の衛生管理や飲料水の安全性についてレクチャーをするプログラムがありました。このプログラムのおかげで、下痢や腹痛を抱える子供たちが減り、バングラデシュ人の全体が衛生管理の重要性に着目するようになったのです。現在のバングラデシュでは、飲料水は必ずペットボトルまたは沸騰したものでなければいけないということが、当たり前のようになっています。バングラデシュに安全な水を供給する入れ物として使われるPET。Khadem Mahud Yusuf氏はPETを国内で生産およびリサイクルすることで、雇用をつくり、飲料水の生産のコストを下げ、安全できれいな水がしっかりと人々の手に渡るように目指しています。

 私は二人の社会起業家の話を聞いて、社会に貢献をするというのは実にさまざまな方法があるのだなと感じました。何よりも私は彼らの志に感激しました。二人の起業家は海外で活躍していたのにも関わらず、バングラデシュの人々の暮らしを改善するために、考え、帰国して、今このような活動をしているのです。日本とバングラデシュでは環境も文化も違いますが、社会の為に何かしたいという考えは変わらないのです。

バングラデシュでマイクロファイナンスを学ぶ -3-

リキシャとホルタル

今日はダッカの街の様子についてお伝えしたいと思います。
研修の間、本来であればホテルからBRAC大学までの道のりはバスで移動する予定だったそうです。しかし今日もBRAC大学まで、16人の参加者はリキシャと呼ばれる人力車でムカデのような長い列を作りながら、大学へ向かいました。

人力車は京都などでは観光の一部となっていますが、ダッカ市では重要な移動手段であり、低所得層の重要な収入源となっています。都市部での交通設備は(思っていたよりも)整備されているものの、頻繁に起きる停電によって信号や街灯が消えるため、非常に移動がしにくいのです。地下鉄が通っていないため人々は車やバスといった交通手段に頼っています。そのため、帰宅ラッシュ時には、交通渋滞が起こり、道路がマヒしてしまうこともあります。しかし人力車は2人(無理やりつめれば3人)乗り用の移動手段で、小回りもききます。車が通れない道もすいすい進めるので、バスからでは見ることのできなかったであろう町並みを見ることができました。
バングラデシュ_リキシャ
リキシャのほかにもCNGと呼ばれているリクシャーという三輪自動車や公営バスもあります。
バングラデシュ_リキシャから見るスラム道
写真:リキシャから見るスラム道

今回移動にバスを利用しなかった理由としては、バングラデシュ全国でホルタルが起きていたからです。
ホルタルとは南アジア地方で行われる大規模なストライキのことです。南アジアの言語ではストライキという意味で、現政権や政策の不満、または政治的デモの一環であり、暴力的な活動をしばしば伴います。バングラデシュではホルタルによって社会経済や政策に大きな影響を与えるため、ホルタルという事象がバングラデシュの政治不安定を表していると言えます。

ホルタルが起こると、労働者は仕事へ行くことができなくなり、経済活動がストップします。また、運搬業のストライキは流通業や販売業者なども物流が止まってしまっているため営業ができなくなります。このような背景は、外国の企業がバングラデシュに投資をするのをためらう一つの理由だと言われています。バングラデシュではホルタルは主に大統領選挙前と1971年の独立戦争時における戦争犯罪人に対する裁判に大きく関わっていいます。
今回のホルタルでは、研修の始まる2日前に野党のイスラム協会(Jamaat-e-Islami Bangladesh)の指導者でもあるモチール・ラーマン・ニザミ氏と ミア・ケサム・アリ氏の処刑が発表され、これに反対するためにホルタルとなりました。幸い、今回のホルタルは、今までのものより規模が小さく街はとても静かでした。

これからも気を引き締めて、BRAC大学へ向かおうと思います。

バングラデシュでマイクロファイナンスを学ぶ -2-

BRAC大学と学生たち~服装と食事

こんにちは、インターンの奥野です。
今日は昼食を大学の学食で食べた様子をお伝えしようと思います。

マイクロファイナンスコース 食事の風景1
バングラデシュでのマイクロファイナンス研修はBRAC大学というダッカにある、私立大学で行われました。BRAC大学はBRAC(Bangladesh Rural Advancement Committee) というNGOによって2001年にダッカに作られた大学です。
他のコース参加者たちと大学内にある学食で昼食を待っていると、バングラデシュの大学生と日本の学生の違いに気づかされました。バングラデシュの人口の98%はベンガル族ですが、学生達は様々な顔立ちをしており、中東や東南アジアからの留学生も多くいるようでした。そして何よりも驚いたのは学食に併設されている体育館でハロウィーン・パーティが行われていました。(その日は11月1日でした。)仮装という習慣はまだないようですが、ハロウィーンらしい音楽がかかっていました。

学生たちの服装は日本や欧米とは全く違っていました。多くの男子生徒はポロシャツにジーンズをという格好でしたが、一方で女子生徒は、南アジアの伝統衣装のサロワカミーズというドレスにヒジャブというスカーフを巻いた伝統的な服装や、ジーンズにシャツといった洋服、そして時には洋服にヒジャブという見慣れないオリエンタルな服装も見かけました。

そして昼食の時間に!
最初の記念すべき昼食にはなんとポテトアルー(カレーですね)とタンドリーチキン、そしてサフランライスが出てきました。一応スプーンやフォークもでてきますが、ベンガル料理なので、右手をパワーシャベルのように使って食べるように私たちは心がけていました。
イスラム教での食事の作法は日本とはかなり違います。食事の作法はイスラム教ではシャリアーアというコーランに基づいた法律が由来です。例えば、数ある法のなかでもムスタハッブ(徳行)と分類される作法では、食事の際には右手と左手を使い分けなければなりません。また、右手と左手の概念はイスラム教ではとても重要であります。イスラム教徒がモスクに入る時や家族や知り合いを迎える時は必ず右手と決まっています。右手は清潔で神聖であることから、食事も清潔を意味する右手をつかうという作法なのです。

さて、タンドリーチキンが食べられるという思いで胸がいっぱいになり、よろこんで一口食べてみました。ところが、口の中に広がる味は唐辛子。その辛さは、自分の額にうっすらと汗をにじませ、口の中から胃につながる食道器官までが燃えていると感じられるほど辛かったのです。あわや、火を吹くまえに口治しのサフランライスを食べてみたら、なんとサフランライスにも唐辛子が隠されていたのです。これには騙されてしまい、昼食を完食できるのか不安になり、焦りも出てきました。そこで気を取り直してポテトアルーに手をつけると、ポテトアルーはほどよい甘さで口の中の辛さがスーっと消えていきました。私はサフランライス、タンドリーチキンそしてポテトアル―の順で食べることにより、無事に食事を終えることができました。
明日はどのような食事が出るのか楽しみです。

マイクロファイナンスコース 食事の風景2